Semi di SAKURA運営委員の沢辺です。
葉っぱの後ろからこちらをひょっこり覗く、小さな虫。
アーモンド型の瞳に、おちょぼ口、丸く白い顔。
それをおおう黒い背中は、漆黒の長い髪のようにも見えます。
この虫、東洋的でもあり、女性的に感じられます。
これは、私たちSemi di Sakuraのメンバーである、イラストレーター、フィリップ・ジョルダーノ(www.philip-giordano-pilipo.com)による作品”THE DAY I BECAME A WOMAN”の作品の一部分です。
絵本作家として活躍するフィリップは、2011年に来日しました。この作品は、来日する数ヶ月前にイタリアで作成したものです。昨年夏、わたしが初めてフィリップに出会ったとき、彼のパソコン内のデータとして、はじめてこの作品を見ました。
フィリップの作品の中で、このあと虫は葉を食べて大きく白い繭をつくります。つまりこの虫は、baco da seta、蚕だというのです。そして作品の中では、繭の中からは女性が生まれるのでした。
私は、養蚕文化について興味をもって調べているのですが、初めてこの作品を見たとき、強い衝撃を受けました。
養蚕にまつわる日本をはじめとする東洋の民話や神話では、繭をつくる虫、蚕はほとんど女性視されています。例えば、死んでしまった女神の生返りとして、蚕が世界に登場するというパターンは多々あります。蚕の霊は、女性の霊と見なされるのです。ですので、作品を見たときに、私はフィリップの作品と東洋の養蚕神話との関連性を見いだした気がして、とても驚きひとり興奮したのでした。
ですが、フィリップにその神話や民話のことを話してみると驚きながら、「全く知らなかった」と言うのでした。更に、「繭をみたことすらないよ」ということでした。
蚕の神話もしらず、実物の繭も見ずに、こんなインスピレーションが生まれるのだろうか、と驚いたことを覚えています。
「とくに何も考えなかった。ただ手が動いて、そしたら、これが生まれた」とフィリップは言います。日本に来る前、無意識の中にあるフィリップに訪れた、”何か”。その”何か” がTHE DAY I BECAME A WOMANを描かせたのです。
神話、それは無意識にあるときの人の精神の動き、とも言われます。
フィリップのこの作品と東洋の神話との関連が私の脳裏をよぎったとき、様々な国籍や文化、そして時間を超えて、人々が共通にもっている精神の動きを垣間見たような気がしました。
私にとって、このTHE DAY I BECAME A WOMANという作品に出会えたことは大きな喜びと驚きであり、つまりその喜びと驚きは、フィリップに出会えたことそのものがもたらす感情でもありました。
そして、それは、私の養蚕文化にたいする興味関心をより一層つよく幅広いものにしてくれました。
今回フィリップは、この作品を、トリノのシルクスクリーン工房で70部印刷しました。
トリノは、semi di sakuraのメンバーである、ガブリエレとフィリップが長く学び、暮らした、二人にとってゆかりある土地です。
そしてトリノはまた、養蚕に関心を持つ私にとっても、興味深い土地であります。なぜなら、絹織物で世界に名を馳せたリヨンに近いピエモンテ地方は、養蚕大国イタリアのなかでも屈指の養蚕地帯であり、その地方の養蚕普及指導を担った行政中心都市が、紛れも無くトリノだったからです。そのため、過去にはトリノに、生糸検査所や養蚕関連の技術研究所などがあったのでした。
イタリアトリノから日本に届いた、繭をつくる虫をテーマにした作品、”THE DAY I BECAME A WOMAN”、その1部を今日、フィリップから見せてもらいました。
その作品を前にすると、時代や場所を超えて、ふとした瞬間に人々に感受される、不思議なイメージ、不思議な”何か”に接近できるような気がします。
それは、詩的想像力や直感のようなものかもしれません。
そしてその”何か”とは、この作品を生み出したフィリップの心を捉えたものでもあり、そしてまた東洋の神話を創造し、語り繋いできた人々の心を捉えたものでもあるように思えます。
THE DAY i BECAME A WOMANに関する情報はこちら↓
http://www.printaboutme.it/2012/07/micro-press-philip-giordano/